徒然で草

こんにちは。初めて記事を書きます。おかぴです。書くことないし思ってること書こうかな。

僕は現在、神戸で大学生をしていますが、僕を含め大学生とは案外「暇」なものです。「大学生は暇」という言葉をよく聞く人もいるんじゃないかな。中学生や高校生のような毎日学校に行って、朝から夕方まで勉強するわけでもない。社会人の方々のように8時間労働をするわけでもありません。しかしSNSで見られるように、普段から非常に忙しそうにしている大学生を見かけることもあるかと思います。同じ大学生なのにこの違いはなんでしょうか。
中学生、高校生の頃であれば、何らかの世界でトップレベルの活躍をしている場合などを除き、同年代の学生は皆一様の忙しさだったような。社会人も会社によって違うけど、ほとんどが週5日1日8時間だと思います(違ってたらごめんなさい)。

結局のところ「大学生は暇」という定説は一方で正しく、他方で間違っているとも言えます。暇になろうと思えばいくらでも暇になれてしまうし、忙しく何かに取り組もうと思えば人生で一番密度の濃い期間を創れるかもしれません。親や大学側から課されるものはあまりにも必要最低限で、時間の使い方のほとんどが自分に委ねられています(流石に医学科や資格系の学科はキツイかも)。

では、時間の密度が濃い人が偉く、薄い人が偉くないのでしょうか。そう結論づけるのは早計です。
予定を詰め込みすぎて自分のキャパを超えてしまい身体が壊れてしまったらいけません。逆にずっと暇だったけど、何か一つ結果を残した人は、周りから何らかの評価を得られるかもしれません。上記の二択だったら僕はずっと暇なほうが良いように思えちゃいます。皆さんはどっちがいいと思いますか?しっかりと目的意識を持って行動できるかが鍵になりそうですね。

話が大学生の暇事情から、物事の過程、結果のどちらを重んじるのか、という話になりそうですね。長くなりそうだからやめとこ。さて、僕は冒頭で自分は暇だと言いました。この「暇」が戦略的かそうでないかはこれからの僕の行動で示さねばなりません。頑張ります。

最後に、「過程が大事」という言葉をよく聞くけど、評価してもらう側がその言葉に甘えて結果に対して貪欲じゃなくなるのは僕はあまり好きではありません。評価してもらう側が結果を追い続けるなかで、お偉いさんに評価してもらえる過程があるのなら、そんなに嬉しいことはありませんが、最終的に必要なのはやっぱり結果だと思います。結果は人の感情から独立しているから、結果が出れば周りの人に認めてもらえます。頑張った人が正当に評価される社会であってほしい、というのがまだ社会に出たことのない分際でつらつらと文章を認めている未熟な僕の意見です。

これからの人生で上記の考えがどのように変わっていくのかが楽しみです。
(この文章全体はあくまで個人の見解であり、組織に帰属するものではありません。)

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